一人暮らしの部屋にパソコンが来た。
インターネット環境もある。
夜更かししないようにしたい。


2週間ほど一人暮らしして、家事の面倒さを感じ、親の偉大さを理解した。
でも食材の買い出しは楽しい。
「オレ、一人暮らししてるぞ!」って気分が最高。
ダッシュで10分、徒歩なら15分以上?かけてお店に行き、買い物。
買い物を終えて店から出た途端、雨粒がパラパラと落ちてきた。
部屋につくまでずっとその調子だったのでヒヤヒヤした。


トイレットペーパー買ったけど、一人であんなに使い切れるのだろうか……


豚丼作った。
もったいないからつゆを注いだら豚おかゆになってほかほかご飯がぬるくなって玉ねぎも口の中での仕事をやめたようだった。
料理では、軽率な真似が大きな犠牲と後悔を招くことを理解した一日だった。

部活っていいね

友人の吹奏楽の演奏見てきた。
友人のダンスがすごかった。


当然この時期の演奏会ともなると、3年生が出てくるのも最後となるわけで、ちょっとした卒業式みたいなものを最後にやっていた。
それを見て、自分も何かしらの部活に入っておけばよかったと後悔した。
高校で縦の関係ほとんど作れてない。
かといって横はどうだったかと言えば、そちらもクラス内でワイワイしていた感じで外に羽ばたいちゃいない。


大学入ったら交友関係伸ばして広げるところから始めよう。

ぷよぷよ

その疲れた体で日付が変わった頃からぷよぷよ
友人と久々に対戦(Wi-fi)。
楽しかったけど、相手の顔が見えないと盛り上がりに欠ける。
置きミスしたときの「あ」が相手には聞こえず、部屋の中でかき消されていくときの気持ち、切ない。


眠い。

オレ、ブス専なんだ

「オレ、ブス専なんだ」とか言っちゃう人は自我を喪失してます。
他の人とは違うアピールのつもりかもしれませんが、むしろ大衆にまぎれてしまっているのです。


考えてみてください。
ブスとはなんでしょうか。
ここでは「顔が醜い」としましょう。
人間は本能的に美を求めます。
「ブス専である」ということは本能と矛盾しています。
矛盾しているということは、どこかに誤りがあるはずです。


それは「ブス専自信が対象をブスと捉えている」という点です。
ブス専にとって、ブスこそが美なのです。
美醜が対極にあるからには、ブス=美とするには「ブスであると決定する第三者」が必要となります。
この第三者は「大衆」であると考えられます。
その大衆の意見を意識してしまっている以上、自称ブス専も大衆の一部に成り下がってしまっています。


そもそも美醜というものには客観性が含まれていません。
99に対してGOODでも、1に対してBADである可能性もあるのです。


そういうわけで、たとえあなたが1であるとしてもそれをアピールしてはいけませんし、99であっても1を排斥してはいけないのです。
みんな仲良くしましょうというきれいごとに落ち着きました。