世界とチルノ


この字はチルノの姿から創られた象形文字である。
この字が創られたころは、音読みに当てられている「きゅう」という音でチルノは呼ばれていた。
現在、チルノのことを「きゅう」と呼ぶのはその名残である。
また、なぜチルノという名前になったのか。
それはこの字を見れば一目瞭然だ。
十字の下段左右にそれぞれ2つ、計4つの点がある。
この点は、十字下段を中心に散っているように見える。
散っている→散る→チル→チルノ
というわけだ。
そして、散るものの代表として桜が挙げられる。
桜が咲くのは春で、夏には散っている。
夏は暑い。
チルノを見たときに感じる清涼感と、なぜ湖上の氷精とよばれる存在なのか、それを関連付けるのがこの「夏」というキーワード。
暑い夏、欲するものは涼しいもの。
冷たく、ひんやりとしていてそれが視界に入るだけで心地よくなるもの。
それを欲する人々の心が次第に大きくなれば、氷を扱う妖精を水場で発見するようになるのも時間の問題だ。
発見するようになる、というのは、妖精というのは想像上の世界の幻想的な存在であり、実際にはいないと分かりながらも、いて欲しいと願うから見えてしまうようになる、ということだ。
そのときの発見者がチルノの姿を他の人に伝える際に書いたものが、「求」のもととなったと言われている。
さて、チルノは「求」という漢字のもととなった存在であることから分かるとおり、東方で発見されている。
東方と言えばマルコ・ポーロによって書かれた東方見聞録が有名だ。
この東方見聞録の「黄金の国」の項に並んで「湖上の氷精」の存在が語られている。
黄金の国、ジパングとは日本のことを指し、また英語で言うときのJapanの語源であることで知られている。
そしてこの湖上の氷精もまた、英語として取り入れられている。
そう、chillだ。
「ひやりとする冷たさ、冷気」という意味をもつ言葉としてこれもまた英語として取り入れられている。
その結果チルノの存在はその実否はともかく、世界の知るところとなった。
世界中の人々から愛されていて、尊敬の念よりも親しみのほうが上回ってしまったためか、あまり賢くは見られないようだ。
また、マルコ・ポーロ自身はジパング(日本)に赴いたわけではなく、中国で噂話として聞いたものを取り上げているだけなので、当時の西側の人たちはチルノに関して勘違いをしてしまっている恐れがあるということを述べておく。


ってけーねが言ってた。




投げっぱなし。
学校で出されるような「環境問題について語れ」みたいなものを書かされるより、こういうののほうが頭を動かしやすい。
頭を動かしたくなる。
ふざけたほうが極論しやすいし、もう色々と自由。


ふと、閑話休題という言葉が頭をよぎったので、閑話休題という名前のブログをやってる人はずっと横道にそれた話をしないんだろうかと思って調べてみた。
閑話休題と名のついたページがいくつかヒットした。
そのうちの一つが東方についてちょろっと書いていた。
世界の狭さを感じた。


おやすみなさい。