体育の日

明日は体育の日。
せっかく「10月10日は体育の日」と小学生のころ覚えたのに、ハッピーマンデーのせいで強制的に月曜日になってしまった。


体育の日の前日と前々日である今日と昨日、体育の授業があった。
バドミントンと卓球の2種目。
バドミントンは友達がいるからやってて苦じゃない。
けれど卓球のほうは知ってる相手が誰も居ない。
その上、別に卓球が上手いわけでもなんでもないから、「なんでこんなことやってるんだろう」という寂しさがいっそう引き立つ。
二人一組でペアを作れ、が酷なものになるとは思わなかった。
全体の人数が偶数だから、当然ペアが組めないということはない。
結局余った人同士で組んだ。
ただひたすらにお互い無表情・無言でラリーをして時を過ごした。
実力は自分も相手もかなりレベルが低くて均衡しているけれど、切磋琢磨できそうにない。


なんでバドミントンも卓球も、先生は授業の最初にサーブの打ち方を教えてくれないのだろう。
それを教えずにフォアハンド・バックハンドだけ教わっても、打ち始める球がどこ行くか分かったもんじゃない。
体育の先生になる人は、できない人の苦労を分かる人じゃないといけない。
言われたとおりにすぐ動けたら先生なんていらない、本だけで十分だ。


バドミントンの疲れと夜更かしのせいか今朝、駅のベンチで少し眠ってしまった。
10分ちょっと。
先輩に起こされて「もう前の電車出たんじゃない?」と言われたときは何が起きてるのか理解できなかった。


帰りのバスでも最近寝過ごしそうになる。
もう着いたのか!と急いでサイフからバスカードを取り出して、バスから降りる。
そして気がついたらそこは一つ前のバス停だった、なんてことがよくある。


布団に入るときは当然至福の時間。
朝のバスと電車、そして駅のホームと、動かなくていいところでは極力体力をセーブし、眠って体力回復も図っている。
バスの場合、気づいたら駅についていて、危うくそのままバスが発車して来た道を戻りそうになったことなら1年前に一度だけある。
電車で寝過ごして駅を通り過ぎたことはまだない。
かろうじて、ない。
だから、まさか駅のホームで寝過ごして電車1本分遅れることになるとは思わなかった。
こういうのは一般的にいう寝坊と同じものなのだろうか。


おやすみなさい。