気持ちは分かるけどやめてほしい

夏真っ盛り。
すっごい暑い、というほどでもない日々が続いています。
でも扇風機を回せばぬるい風が吹く。
心地よくない。


夏だからとか、多分そんな理由なのでしょう。
テンションが上がるのも分かるし、外で騒ぎたくなるのも分かる。
でもちょっとうるさいし、他の人に迷惑だからやめて欲しい。
昼頃から徐々にここらへんに北上してきて騒ぎ散らす。
雷は一回雲の上に帰っていただきたい。
来年とか再来年とか、間を置いて来ていただきたい。


でも外に出ない人間にとっては外に出られないことよりも電気で動いてる機器が突然いっせいに活動を停止するほうが怖い。
なんかも、怖いという言葉にちょっとした恐怖を感じる。
血糊を見て血を連想するのと同じこと。
血糊は血じゃないのに思い込んじゃう、人間ってふしぎ。


中学のときに家庭科の授業でつくったウサギの人形が怖い。
首のところがゆるゆる。
ランプラーンとゆれる。
首がすわってない。
赤ちゃんとかそんなレベルじゃない。
しかも目がうつろ。
どこを見ているの?ってきいたら何もないところを指し示しそうなくらいにうつろ。
それにウサギだから目が赤い。
人間は泣いたら赤くなる、普段は白い。
なのにウサギは体が白いからか目が赤い。
しかも人形だから赤い糸だけで目が縫われてる。
もう、目が縫われてるという言葉自体が恐怖の源。
そんな表現日常生活じゃ使わない。
でも人形だからさわり心地はいいはず、なんて甘い。
綿を詰めすぎて硬い。
むしろ堅固。
メリットが見つからない。
ただ手にメモとかを挟めるようにできてる。
なぜかというと、授業で製作した理由が
「小さい子に向けてのメモを残す人形」
近づけないよ。むしろ近づけられない。
戦ったら絶対くけけけけけって言い出す。
だからあのウサギの人形は怖い。
でもクレヨンしんちゃんに出てくるネネちゃんの持ってるウサギのぬいぐるみのほうが怖い。
何度でも戻ってくる。
ブーメランなんて目じゃないくらい。
そんな話があった気がする。
ただその程度のことじゃ恐怖しない。
やっぱり一番怖いのは現実。
この夏休みを乗り越えるには宿題などの課題をこなさなければならない。
この場合のなどは雰囲気、つけくわけ、スパイス。
よって考えなくていい部分、ノイズ。
宿題は残りあとわずか。
減ってないけどあとわずか。
宇宙開闢の歴史から考えればこの程度の事実は塵のようなもの。
だからわずか。
数えても、一ケタ。
全然少ない。
パーセンテージで一ケタは相当少ない部類にあたる。
挙手率一ケタとかすごい寂しい教室。
少ないならやれるんじゃないかな。
よし、明日から頑張ろう。
でも今日頑張らないのがポイント。
そして明日にはこの宣言を忘れて同じことを繰り返す。
無駄なことは分かっている。
でもその生活がやめられないからふしぎ。


部屋においてある人形を見て突然始まったウサギのお話から上の文までで797文字。
あと3文字で800文字。
たくさん書いてると思うと楽しくなってくる。
でも話題の転換の仕方がひどい。
ウサギを宿題にすりかえてる。
一貫していない。
今となってはもうどうでもいい。
なぜなら今日のことはさっぱり忘れて眠ることに決めたのだから。
でも次の日この文章を見たら嫌になるかもしれない。
しかし更新するときは昨日とかの文章を読んだりはしない。
見直さない。
それでテストの結果は悪くなる。
確認ってほんとうに大切なこと。
話の食い違いとか出たら困るから確認は心がけるべき。
自分はそんなこと全然やってないけどね。
人の話を真摯な態度で聞いていないわけじゃないし、話すのが好きなわけでもないのに。


おやすみなさい。