心の俳句

ちびまる子ちゃん」に出てくるともぞうは、よく心の俳句を読みますが、「サザエさん」に出てくる波平は、実際に読むことはあっても、心の俳句という形では出てきません。
そんな波平の心の俳句を、夢の中で聞きました。
桜を想像させるような、鮮やかな桃色で文字が並んでいました。
そこから突然、石川啄木が現れて、これまた桜のような、詩を読み始めました。
その桃色は、徐々に変化してカービィに。
夜更かしして星のカービィをプレイしてしまったという啄木の体験談に基づいて、啄木自身が主役を小さな子供に置き換えて、カービィの代わりに桜を使って表現した、という詩でした。
当然ながら、石川啄木星のカービィをプレイしているはずがありません。
啄木は、私の夢に現れてまで、一体何を伝えたかったのでしょうか。


「働けど 働けど なお わが暮らし 楽にならざり じっと手を見る」
これ、啄木の詩の一部だったんですね。
小学校とかの授業で、この詩は教わった気がするのですが、野口英世の言葉だと思ってました。
野口英世は幼少時に左手をやけどで不自由にしています。
それで同じほどの年の子どもたちから、そのことでいじめられていました。
辛い現実から辛い過去を思い出してしまい、ふいにその原因である手のほうに目が行き、頭を悩ませていた。
そういう風な内容だと勝手に解釈していました。
でも実際には、この詩は啄木の詩で、野口英世は関係ない。
自分で勝手に思い込んでおきながら、騙された気分です。


思い込みというと、野口英世も思い込みが原因で、清作という名前から英世に改名したそうです。
小説の登場人物が、名前も性格も自分に似ていたから、これは自分のことを書いてるんじゃないか、と。
それから逃れようとしての改名。
偉人と呼ばれる野口英世だって、人間らしい部分もたくさん持っています。


啄木さんは、私に野口英世について調べさせるために夢に出てきたのかもしれない。


おやすみなさい。